古来より人は、大空にあこがれ己の力で空高く舞うことを夢見た。
ライト兄弟の有人動力飛行機の成功により人類は空へと旅立つ。
そして、人の志も、より高くより高く、舞い上がることが理想であろう。
しかし、とぶ といっても、このようにフライではないものあります。
ぞくに業界用語の「とぶ」は
連絡もなく、いきなりいなくなることを言います。
色恋にはまって金が手をまわらなくなり、逃げる
バイト先でいきなりこなくなる
バンド組んでたのに、メンバーがライブ当日こない
様々な世界でこの「とぶ」は行われています。
いま、この記事をかいているロックバンド「ボウイズ」の私シンスケボウイも多くの「とんだな」を経験してきました。
その1 突然姿を消したライブバーの店長
ボウイズが前によく使っていたライブバーの店長。
ある日、ボウイズのイベントが大成功に終わり打ち上げ
「いやー、ボウイズさんのお陰で今年も本当に楽しかったです。また来年もお願いしますね。これサービスのピザです」
そのピザを最後に・・・その店長は店の金、売れそうな機材などをすべてもって姿を消したのだ。
正直、これは捜索届けもでているほどのことで、実際にその店長がどうなっているかはわからないのである。
今もどこかで生きていることを願います。
その2 突然姿を消したラジオのスポンサー
実は、われわれボウイズは昨年、天神FMで「ボウイズのヤバnight!」という番組をもっていました。
ワンクールしかなかったこの伝説の番組。
最後の放送では
「それではまた来週!!!おやすみなさい」という2人のさわやかな挨拶で幕を閉じることになった。
それはなぜか。そうです。スポンサーが飛びましたwww
このスポンサーはライブイベントも行っていた方でした。
もちろん第1回から好調のすべりだしをみせたイベントは、回を重ねるごとに成功していくかに思えた。
が、
いま思えば、ドラえもんの「ガリバートンネル」のような感じだったのかもしれない。
(規模が小さくなる・・・・)
そして、彼の失踪前のイベント。
当初は女性出演者も多く、「今回ももりあがりそうだな」と思っていたが、なんと怒涛の出演者キャンセルが続いてしまったのだ。
これはまずい!と思った僕がかけ集めた、フリージャンルの男達。
結局そのイベントは、
いってみれば、
「あ、お土産なにがいいかしら、あら?詰め合わせとかできるんですか?そしたら2000円分詰め合わせお願いします」
みたいな、お菓子の詰め合わせイベントであった。
そして、姿を消す直前、2016年10月の最後のラジオ生放送にいつも現れるスポンサーはあらわれなかったのだ
電話も、ラインもメールも通じない。ラインは既読にもならない。
※ちなみにこの1日前には彼の元気な姿をみています。
関係者は「これは何か病気とか事故があったのでは?」と心配していた。
しかし、この業界に長い僕には一つの疑惑がありました。
「あ、こいつまさかとんだな」という。
しかし、相方のタクチャンボウイをはじめ、関係者の多くは
「彼はそんな人ではない」と言い続けた。
2日後のライブイベント。
この時僕は、なぜかスポンサーがこないことに自信があった。
なのでライブハウス、出演者に事前に連絡した。「開催はまってくれ」と
その予感もあたり、主催者であるスポンサーは現れなかった。
この時、一部の関係者から「ああ、とんだかもですね」という声もあがったが
僕も心の底ではまだ彼を信じていた。
そして、タクチャンボウイも。
しかしやはり、電話もラインも通じない。既読にもならない
ちなみにその日出演するはずだったアイドルさん達と撮影した写真はこちら
MOSHPIT と 天使星音さん。
さて出演者もライブハウス側も開催中止を納得してくれたあと、
仲間の協力でスポンサーの家がわかったのだ。ぼくとたくちゃんは、早速、彼のうちへいくことにした。
しかしこの時すでに僕の頭の中には名曲「スカイハイ」がながれていた。
(鳥人間コンテストのOP)
そして、彼の家にいき、彼がでてきたとき
僕の頭の中には 円広志さんの夢想花がながれていた。(とんでとんで回って回ってーの歌です)
中学校の演劇部でももうすこしましな感じであらわれるのではなかろうか、
あくまで体調不良である様子で彼はでてきた。
そして、僕達にこういった
「ごめん。いきなり左半身がうごかなくなった。」と。
「え?そく救急車や!!!」と僕。
「いや、大丈夫。あした病院にいく」と彼。
ラジオの前日に元気だった彼はその次の日左半身がうごかなくなったが、なんと三日以上も放置していたことになる。
目もまったくあわせない彼。
そんな彼にやさしく語りかけるわれらがタクチャンボウイ
彼は、たくちゃんの肩をそっと動かないはずの左手でさわり
「ごめん」といった。
僕にはその言葉は、おっさんが若い女の子に「いっかいだけ!!いっかいだけ!!」というよりも下衆の言葉に感じた。
そしてその2日後、ラジオのことがきになった僕は再び彼のうちへいった。
そこで衝撃をうける。布団をほしていたのだ。
見なかったことにして、とりあえず玄関のブザーをおした。
かれはでてきた。
ラジオのことをきく僕。かれはそっと1日前まで動かなかった左手で髪をかきあげ、わからないことをいいはじめた
「世間に俺がでていくのは何か違うきがする。ビジネスコンセプトとして。そして、ラジオというのはマネージングで違う気がする。イベントやボウイズが有名になるのはいいのだが、俺自身が有名になるのは違う気がする」
僕はこころで思った
「(つか、あんたでてないじゃん・・・スポンサーやんけwww)」
「これからもイベントはしていくが、あくまで代行業として・・・」
もはやわけがわからなかった僕は
「あー死神代行みたいなもんですね。わかりました」と後にした。
ラジオについては11月まではできるよと確認した僕は、念のためラジオ局へ電話をかけた
すると、
なんと、すでに9月、10月と滞納していたとのこと。
結局話し合いで11月は放送することをやめ、ボウイズのヤバナイトは
2016年10月をもって予期せぬ最終回を迎えたのであった。
しかし、彼には実は心の底から感謝をしている。半年とはいえ、ラジオをもたせてくれたこと。
そして、その期間、車でライブ会場に(大分とかまで)つれていってくれたこと。
僕の音楽がすごくいい、であったとき(ソロのころくらいかな?)からずっと思ってるといってくれたこと。
はじめは真剣にボウイズを売ろう!と色々考えてくれたこと。
雨の日にラジオ局までいつも送ってくれたこと。
ラジオを通してトークの練習、番組構成、企画の経験をさせてくれたこと。
イベントを通じて、たくさんの出演者とめぐりあわせてくれたこと。
カフェでチョコパフェを奢ってくれたこと。
そして、何より、最後まで彼を信じたのはたくちゃん。
「あいつはそんなやつじゃない」ずっと言ってたたくちゃん。
この人を信じられない世の中に最後まで義を貫き通してくれた、タクチャンボウイが
本当に、いい人だと気がつかせてくれたこと。
自分の長いライブ活動で、最後にメンバーにしようとした男の良さの再確認をさせてくれたこと・・・・・
本当に多くのありがとうを彼には送りたい。
もしこのブログをみたら、またいつでも気軽にボウイズに会いにきてほしい。
とりあえずあだ名は「スカイハイ●●」とつけるけども。
何も気兼ねなくライブにきてほしい。
いつかまた出会える日を。
そんときゃ、有名になっていたらいいな、ボウイズが!